見た目も華やかで性格も社交的な母は、
私が小学生の高学年になる頃には
専業主婦を止め、仕事を持ち、毎日飛び回っていた。
私はいつも淋しく、母と過ごす時間がもっと欲しいと思っていた。
皮肉な事に母が入院してようやくそれが叶った。
そして、母がどんな人なのかを改めて知る事が出来た。
跡継ぎ同士の結婚だった母の両親は、
母が1歳半の時に離婚し、
病弱で入退院を繰り返す母親の代わりに
大人になるまで祖父母に育てられていた。
優しい祖父母に心配をかけたくなくて、いつも本音は言えず、
悲しい事があっても常に笑顔でいたそう。
裕福だったけれど常に愛情に飢えていたらしい。
大人になり、初めて心を許せる父と出会って私達が生まれ、
ずっと憧れていた家庭を持てた。
生きて来て一番嬉しかった時は、兄が生まれ、私が生まれ、
家族で食卓を囲んだ時だったそう。
手編みのセーターや手作りのお菓子、
いつも家族に深い愛情を注いでくれた。
私達兄妹もそれぞれ独立し、さらに新しい家族も増えた。
これから父との楽しい老後の為に、色々と計画も立てていた矢先の発病。
悔しくてならなかった。
よりによって、何故母がこの病気に。
人を疑う事を嫌い、最後まで信じる事の出来る人。
でも、今思えば、
母の願いだった家族の団欒と、子供のように甘えたい願望が、
病室で叶えられていたのかも知れない。
とても仲の良い両親に育てられ、何不自由なく育った私は本当に我侭で、
母の、全てを受け入れられる人間性が自己犠牲的に思えて腹立たしい時があり、
一方的に怒ったりした。
キツイ言葉を投げ掛けても言い返さず耐える母を見て余計にイライラした。
その時は一人前に母に意見をしているつもりだったけれど、
それが甘えだったと母が入院してから気付いた。
同時に、甘えて寄り掛かれる相手が周囲にいない娘時代を過ごした母は
さぞかし孤独だっただろうなと思い、胸が痛かった。
だから、入院した日から思いっきり我侭を言えている母を見て嬉しかった。
でも、その我侭な態度を直に受けるのは看護士さんだったので、
冷や冷やする事もあった。
ハキハキした口調できつく見えるけれど、心の温かさがある看護士さん。
物腰は柔らかいけれど、患者をまるで物の様に扱う瞬間がある看護士さん。
色々な看護士さんが居たけれど、母なりにコミュニケーションは取れていたと思う。
治療は厳しかったけれど、いつも笑顔はあった。
父には弱音も吐いていたそうだが
娘の私にはいつも気丈に振舞っていた。
昨年末に外泊許可がおりて自宅でお正月を迎えられた母。
作ってもらいたい献立を、まるで遠足の栞の様に書いて私に手渡した。
無菌室に入る直前に、不安がる母を思い切って抱きしめた。
物凄く恥ずかしかったけれど、どうにかして安心感を与えたかった。
その日、入院して初めて母が泣いたのを見た。
昏睡状態になってからは、手を握って話しかけていた。
“父と母の娘として生まれてきて本当に良かった”と伝えた。
母と3人で最後に遠出した時に、私と大喧嘩をしてしまって後悔していた主人は、
“もう喧嘩しませんから、元気になったら又ソフトクリーム食べに行きましょう。”
と、伝えた。
母が涙を流していたのは、ちゃんと聞こえていたからだと思う。
臍帯血移植後の合併症で苦しんで、肺に溜まった水が広がり、
自分で呼吸も出来なくなって意識も無い時に、
『よく頑張ったから、もうお父さんも褒めてくれるわ。一緒に家に帰ろうか?』と聞いたら、
はっきり頷いて、かすかに手を握り返した。
それを見て、もう本当に家に連れて帰る時が来たと思った。
自分の頑張りを、誰よりも父に褒めて欲しかった母。
その為に、人生の最期で辛い治療と戦った。
その後、母が気にしていた孫との約束のお花見に
私が代理で行って来て、母の好きな桜が咲いた事を報告した。
そしてその翌日の朝、お釈迦様の誕生日の前日、
元気な時に望んでいた通りに、
家族全員が揃うのを待って
父の腕の中で息を引き取った。
今でも、母が入院してから今日までの事が信じられない時があり、
思い出して、会いたくて、悲しくて、メソメソしている。
母がまだ病院にいるような気がしたり、
夢に元気な姿で出てきた日は、現実との区別がつかない時があったり。
百箇日が終わるまではきちんと母を送る務めを果たしたくて、
人前で取り乱さないと決めていた。
今頃になって緊張の糸が切れたのか、ふとした事で涙が出てくる。
母から譲り受けた物はこの命と、
人からよく褒めてもらえる笑顔。
病室で震える手で書いてくれた手紙。
その中に書いてあり、初めて知った事。
兄の出産のダメージで、二人目は作らないようにと言われながら、
どうしても女の子が欲しくて妊娠5ヵ月まで隠してまで生んでくれた。
手紙の最後に、“優しくしてくれて有難う”と記されていたのを見て、
娘にまで遠慮がちな母がいじらしくて泣けてきた。
娘が親に優しくするのは当然なのに、お礼を言うなんて。
本心が上手く伝えられずに生意気な事ばかり言っていた私に
優しさを感じていてくれたのが嬉しかった。

育ててくれた恩返しのつもりで看病に臨んだけれどまだまだ足りない。
もし生まれ変わりがあるとしたら、
今度は私が母のお母さんになりたい。
愛情たっぷりで、我侭言いたい放題に育ててあげたい。
母にして貰って嬉しかった事は全てしてあげたい。
もう一度、この顔ぶれで家族になりたい。